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なんちゃら指数は伊達じゃない

原宿3:00集合(山嗣)

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原宿3:00集合(山嗣)



『原宿駅から歩いて約5分、広いウッドデッキが目印。一面ガラス張りで陽の光が照らす店内には、白を基調とした北欧風の家具が並ぶ。落ち着いた空間で、ゆったりとくつろぐことのできるカフェ。』


検索して出てきたページの紹介文に、軽く目を通した。
いかにも、りさちゃんが選んだお店という感じだ。
ラインで送られてきた地図を見ながら、そこまでの道を探した。


もともとは駅前で待ち合わせていたところを、私の仕事が長引いてしまったので、後からお店に向かうことにしていた。
「迷ったらいけないです、私がお店までお連れします」と、りさちゃんは電話で豪語していたが、目的のお店は簡単に見つかった。


駆け寄ってきた店員さんに、待ち合わせていることを伝える。
そして広々とした店内を見回した。
落ち着いた雰囲気で、席はほとんど埋まっている。
穴場のお店なんだろう。
りさちゃんのセンスと知識には、ほとほと舌を巻く。
そういえば、この辺りは庭みたいなものだと、以前自信満々に言っていた。
そんなことを思い出していると、奥の方から手を振ってくるりさちゃんの姿が見えた。







『ももち先輩に、お話したいことがあります』

昨日、メンバー全員での仕事の帰りがけに、りさちゃんは物々しい雰囲気でそう話しかけてきた。
まるで食うか食われるか、そんな顔。
さすがに夜も遅かったので、翌日、つまり今日、話す約束をして帰った。

話したいこと。
大学と仕事の両立とか、そういう相談かもしれない。
もしくは、私がいなくなってからのこと、というのも考えられる。
なんにせよ長くなりそうな話だし、じっくり腰を据えて話すのがちょうどよさそうだ。







「待たせちゃってごめんね」
「私の方こそ、昨日は突然お願いしてしまって、すみません」

りさちゃんが軽く頭を下げると、栗色の髪がさらりと肩から手前へ流れてゆく。
大学入学から、もうじき一年が経とうとしている。
りさちゃんはすっかり、いまどきの女子大生といった雰囲気をまとっていた。
注文したピーチティーがくると、私は雑談を止めて、さっさと本来の目的を聞くことにした。

「で、話ってなんなの? りさちゃん」
「……あの、まず前提として、これから話すことに複雑な答えは求めていません。それはももち先輩にも私にも、負担になると思うので。ただ、言わせてください」

りさちゃんは落ち着かなげに、ストローでくるくるとアイスティーを混ぜている。

「うんうん、可愛い後輩の話ならなんでも聞くよ」

これは、何やら、話題が読めない。
日頃の不平不満をぶちまけよう、ってわけでもなさそうだ。
りさちゃんの顔はこわばっていて、その上に無理やり、愛想笑いが貼り付けてある。
しかもまたその上に緊張が透けて見えるものだから、不思議なことになっていた。
悩みごとがあるのは確かだ。
だけど、何の話が飛び出してくるかわからなかった。


やがてりさちゃんは、意を決したように顔を上げた。
そして言った。



「ももち先輩のことが好きです。」



直球だった。
まるで頬のすぐ横を、物凄いスピードのボールが飛んでいったかのような気分。


好き。
好き、か。

好き?


言葉の意味をかみしめる。
好き、と言われた。
こういう表情のりさちゃんは、時々見たことあるな、と思い返しながら、一度頷く。
言い終えても、まだ震えているりさちゃんの唇に、その意味を察した。







「……先輩として、ではなくて、恋愛としての好き、です」
「わかるよ、その顔見たら」
「あ、わかりますか?」
「うん。ガチな目してる」

りさちゃんは、先ほどよりは少しほぐれた雰囲気で笑った。
それから、軽く挨拶程度に付け足してきた。

「付き合ってください、ももち先輩」
「だーめ。ごめんね?」

つつがなく、定石通り。
せめて、にっこり笑ってそう言った。

こういう結末になることは、りさちゃんなら当然わかっていたはずだ。
だから、あえてためらう必要はなかった。
もし、期待のようなものを持たせてしまったら、それこそ彼女を傷つけてしまう。
私の簡潔すぎる答えを聞くと、りさちゃんは、ようやく肩の荷が下りたというように、ほっと息をついた。

「よかったです。言えてよかった」
「ねえ、フラれたのになんか喜んでない?」
「ですね、ある意味喜んでます。気持ちを伝えられたら、それで充分だったんです。白黒はっきりしてないのが、一番辛いですから」

そう言って、アイスティーを一口飲むりさちゃん。
白黒はっきり、か。
充分だなんて、そんな風には到底見えない。
まだ何か、言いたいことがあるって顔をしている。
とはいえ、隠すつもりなら乗っかってあげよう。
多分それが、今の私に出来る最大限の優しさだ。

「結構、慎ましいんだね」
「……そう、見えますか?」

りさちゃんが、じっと見てくる。
ちょっとたじろいでしまうような視線だ。
奥まで覗き込まれるような。
それなのに、熱っぽいというより、冷えている。

「まあ、オトナだな、ってね」
「……普通にやっても敵わないことは、わかってました。でも、きちんと手順は踏んでおきたいんです。じゃないと私、落ち着かなくて」

雲行きが怪しくなってきたのを感じた。
そんな言葉運びは、いつものりさちゃんらしくないと思った。
なんだか、心が騒つく。

そもそも、告白なんてリスキーな行動を選ぶこと自体、彼女らしくないのだ。
振られてもただ引き下がるだけなんて姿勢も、らしくない。

よく考えてみれば、おかしいことばかりだ。
今日のりさちゃんは、どこか、何かが。

「ももち先輩。」

テーブルの上に乗せていた私の右手に、りさちゃんは自分の手を重ねてきた。
普段ならなんてことない、気にも留めないくらいのことだ。
だけど、このタイミングで絡められた指に、ぞくりと肌が泡立つのを止められない。

「フラれた代わりに、と言ってはなんですが、お願いがあるんです」
「……ものすごく嫌ぁな予感がするんだけど。内容は聞くよ」

りさちゃんは微笑んだ。

「一日だけで良いです。私を……対等に扱ってください」















りさちゃんの提案は、簡単に言えばこういうことだった。
今日一日だけ、タメ口を使うことを許してほしい。
そして口調だけではなく、同い年のように対等な目線で会話をしてほしい、という。

それくらいなら、何のことはない。
まいちゃんや、ちさきちゃんなんかは調子に乗りそうでよくないが、りさちゃんなら分別は付けられるだろう。
告白の件はひとまず置いておくとして、そのくらいの頼みなら、問題なかった。
軽い罪悪感のようなものもあったし、これでお互い、ちょうどいいのかもしれない。

「じゃ、カラオケでも行こうよ。りさちゃん」
「いいですね!」
「タメ口は?」
「あ、えっと。……それいいね!もも!」
「無理やりだなあ」

私が笑い飛ばすと、りさちゃんは照れたように俯いた。

「ももこそ、私の呼び方、変えていいんですよ?……いいんだよ?」
「変えるって言っても、りさちゃんはりさちゃんじゃん」
「そうですね……あ」

りさちゃんは意味ありげに視線をそらした。
そしてぽつりと言った。

「りさ、とか」
「却下」
「なぜ!」
「や、呼び捨てはちょっと違くない?」

普通ですよおと、しょげながらりさちゃんは言う。
本心からへこんでいそうなので、少し可哀想にもなる。
でもこのまま流されてしまうと、なんだかよくないことになりそうな気配を感じていた。







カフェを出ると、りさちゃんが案内をしてくれて、近くにあるカラオケに入った。
この店舗は、最近リニューアルオープンしたばかりだそうだ。内装も綺麗だった。
そのためもあってか、学校帰りの学生などで、かなり混雑していた。
さほど待たずに入れたものの、ちょうど二人用といった感じの、小さめの部屋に通された。



「なに歌おっかなー」

時間もあまりないので、さくさくとデンモクを入力していく。
すると、りさちゃんが私の空いた左手を軽く握ってきた。
その手つきに、何やら不穏なものを感じる。
私は目線を画面に向けたまま、軽く牽制してみる。

「りさちゃんは『同い年』の子に、こういうことをするのかなあ?」
「するよ。『同い年』の『好きな子』だし」

りさちゃんは、ことも無げに返してきた。
さっき告白をする前までの恥じらいとかためらいは、どこに行ってしまったんだろう。

りさちゃんの体の距離が妙に近いなと思ったとき、頬に指の先が触れた。
りさちゃんが私の頬の横髪を耳にかけてくる。
左耳を指先で触れられたまま、私はりさちゃんと目を合わせる。
何を考えているのか、その目からは読めなかった。

そのうちに、私の選んだ曲が部屋に流れ始めた。
二本のマイクは、テーブルの隅に置かれたままだ。
しかし、りさちゃんは、いたって平然としていた。

「りさちゃん、ほら、せっかく来たんだから、歌お?」
「呼び方は?」
「え……」

りさちゃんは、穏やかさをたたえた目で、私をじっと見つめてくる。
何も言わない私の方こそ、場違いかのような錯覚に陥る。

「……り、……りさ?」
「よくできました」

りさちゃんは満足げに頷いた。
これじゃ、対等どころか下に見られている気がしてならない。
自分のペースが保てなかった。
りさちゃんに手綱を持っていかれてる感じがする。
ただタメ口になっただけで、こうも変わるものだろうか。

妙に体はくっついたまま、私は上手く言葉が出ない。
別に嫌じゃないし、いいんだけど、この違和感はなんだろう。

流れっぱなしの曲は、次第にサビへと近付いていた。
それでも、歌い始めるような雰囲気ではなかった。

「もも、」

髪をかき上げられて露わになった耳元に、りさちゃんは口を寄せて囁いてくる。
なんか、やらしい感じ。

「何すんの」
「してほしいの? もも」
「遠慮しておく。あとね、そんなに名前よばなくていいから」
「えー? もも、可愛いのに」
「普通だってば」

話しながら、りさちゃんの目線がなんとなく唇に注がれているのに気付く。
私はりさちゃんの肩を軽くはたいた。

「口はやめて」

そう言うと、りさちゃんは一瞬、間の抜けたような顔をした。
そんなこと思ってもみませんでした、とでも言いたげな表情だ。
りさちゃんは、ニッと笑った。

「他のところなら?」
「ちょっ、」

言うと同時に、頬に唇が触れた。
そのまま、流れるように耳たぶにまでキスされた。
くすぐったい。
りさちゃんは、やけに手慣れてる感じだ。
もしかして、これくらいのスキンシップなら、大学生には普通なんだろうか。そんな風に思えてくる。
もちろんその行為からは明らかに好意を感じる、けれど。

本当に、好き、なんだろうか。

こんなりさちゃんって珍しいから、どうしていいかわからない。
普段のりさちゃんは人の嫌がることはしないし、軽く目を合わせただけで、私の気持ちを読んで動いてくれるくらいの子なのだ。
なのにどうしたんだろう。
りさちゃんの気持ちは一向に見えなくて。
ただその目は、縋り付くようにも思えた。
そんな風に見てほしくは、ないのに。

「だめだって!」

私が大きな声を出すと、りさちゃんは動きを止めた。
私はとっさに、天井の角を指差した。

「ほら、カメラ、付いてるしさ! こーいうの、お互い良くないと思うんだよね」
「あ……!」

隅についている防犯カメラに気付いて、りさちゃんは私から後ずさるように、ソファの端へ離れた。
心なしか、顔が赤らんでいる。
そしてなにかを誤魔化すように、冷たい緑茶を飲んでいた。
私にはもはや照れもしないのに、カメラにはいっちょまえに恥ずかしがるのは、なんだか腑に落ちなかった。

その後、何事もなかったかのように1時間ほど歌って過ごし、私たちはカラオケを出た。








夕暮れ時の裏道は、人もまばらで、どこか寂しげだった。
その道を、りさちゃんはためらうことなく、すたすたと歩いていく。
慣れているのは本当なんだなと、思う。
気まずい空気を破るように、あえて明るい声で尋ねた。

「ねえ、さっきのりさちゃん、どうしちゃったの」
「どうもしてないですよ?」
「いやいや、いつもとは明らかに雰囲気違ったよ」
「やだなあ、結局何もしなかったじゃないですか」
「あれで何もしなかったって言うの……」

やっぱり、まだ何かするつもりだったんだ、と冷や汗が出る。
りさちゃんがあえて告白をしてきたのは、区切りをつけるためだと、そう思っていた。
だけどこれじゃあ話が違う。
苦々しい顔を隠さずにいると、りさちゃんはピンと人差し指を立てた。

「先輩、最後にもう一つ、お願い聞いてくれますか?」
「聞きません」

私が両耳をふさぐポーズをとる。
するとりさちゃんは、拗ねた顔をした。
こういう時は上手く甘えモードに入るのだ、りさちゃんは。

「りさちゃん、もうああいうのはやめようね」
「……はい」
「ああいうことがしたくて、ももちに好きって言ったの? 違うでしょ?」
「はい……あ、どうなんでしょう、好きです。でも変な意味では、」
「わかったもういい、詳しくは聞かないでおく。……で? もう一つのお願いっていうのは?」

俯き歩いていたりさちゃんの顔色は、パッと明るくなった。
そして言った。

「あの、まだ、……これからも、好きでいてもいいですか?」

私は返事に迷った。
もちろん、りさちゃんはかわいい後輩だし、好かれるのは嬉しいけれど……もう、りさちゃんのその好意は、先輩後輩の関係よりも濃いものになってしまっている。
りさちゃんの気持ちを知っていることで、何か重しを一緒に持たされているような気持ちになってしまう。
好かれるだけなのだから、勝手にしておけばいいとも思うけど、ずしんと重たいなにかを感じてしまう。
とはいえ、嫌だと突っぱねるのも、かわいそうだった。

悩んでいると、りさちゃんは、乾いた笑い声を出した。

「冗談ですよ。ごめんなさい。困らせてしまって」
「りさちゃん……」
「もう、ももち先輩のことは、ただの先輩です。今日のこれで、気持ちの整理がつきました。ほんとに、ありがとうございます」

りさちゃんの横顔は、言葉の通り、すっきりとして見えた。
だけれどその心の中に、どんな思いを抱えているのか、想像すると不意に気持ちが苦しくなった。

焦る気持ちも諦める気持ちも、その穏やかな表情の下に隠し通してしまうんだろうか。

私はさみしくなって、つい、りさちゃんの手を握った。
今日を境に、りさちゃんが遠くにいってしまうのではないかと不安になったのだ。
どうしたらいいかわからないまま、ただ今日までのりさちゃんとの仲を壊したくなかった。
きっとそれだけ。

知らない暗い道を進むのは心細かった。
だから、慣れてるりさちゃんの手を繋いでしまった。
それだけなのだ。

「……ねえ、もも」

りさちゃんの声でそう呼ばれるのも、耳に馴染むようになってきていた。
もう少し年が近ければ、何か違っていたのかもしれない。
そんな考えがほんの一瞬、心をよぎった。

繋がれた手を引き寄せるようにして、体は近く、くっついた。
今度はもう、拒まなかった。

「もう少しだけ」

りさちゃんはそう囁いた。
小さな、わがままを言う声だった。












「動機が不純」
「ついてくる方も不純です」
「はあ、いつからこんなにスレちゃったかなあ、りさちゃんは」
「ももち先輩のおかげですよ」

軽口を叩き合うのは、照れ隠しの意味もあったと思う。
だってお互い、黙ったまま長々と座り込むようなことは苦手な性格なのだ。
それをわかっているのに、わざわざ映画なんかを観にきたのは、どうしたって不純だった。

数ヶ月前に公開した映画を狙って入った。
内容は二人とも、なんでもよかった。
場内には、前方で目立つように座るカップルと、真ん中あたりの右端で始まる前から船を漕いでいるスーツの男性がいた。
私たちは、一番後ろの列の端に座った。

だらだらとした予告が終わると、りさちゃんがこちらを向いてきた。
いざとなると、私は怖気付いていた。
そんな気持ちを感じ取ったのか、りさちゃんはしばらくの間、ただ私の手の上に手を添えるだけだった。

今更になって、可笑しなことをしているなと冷静に考え直す。
映画の内容は全然頭に入って来なくって、コメディなんだかサスペンスなんだかも曖昧だった。

りさちゃんって、そういう子じゃない。知っている。
余裕のあるように見えて、だけどいたって普通の子なんだって、もう私はよくよく理解している。
乗せられてるわけではないから、これは。
もう受け身とか、合わせてるだけとか、そんな言い訳は意味をなくしていた。

映画が始まってから、三十分くらいした頃。
どこかから、携帯のバイブが鳴る音がした。
私たちは暗闇で目を合わせた。
やがて、音は消えた。
りさちゃんが私の側へと、体を傾けてきた。
頬に手が触れて、位置を確かめるように、親指が唇に触れた。

キスは、ゆっくりと長かった。
なんとなく、一瞬で終わると思っていた。
そうやって時間をかけるものなのだと、こちらが教わるような気がした。
私は小さな声で言った。

「りさ」
「……ずるいですよ、そういうのは」
「どうしたの? 敬語じゃん」

からかうと、りさちゃんは握る手に少しだけ力を込めてきた。

「止められなくなりますから」

私は、暗がりの中の、りさちゃんの真剣な顔を見ていた。
きっと暗いから、こんなに真剣に見てくれるのだと思った。
それが素直に、嬉しかった。




映画のスタッフロールが流れているうちに、私たちは出て行った。
例のカップルも先に出ていた。
前にいた眠っている男性だけが、場内に残っていた。







駅前の賑やかな通りに、ようやく戻ってくる。
煌々と光る車のライトとショーウインドウに映る自分を見ると、日常に引き戻される感覚がした。

りさちゃんにバレないよう、自分の唇に、指先で触れてみる。
ここにさっきまで、りさちゃんが触れていた。
今までの関係じゃあり得ないことが、今日でいくつも起こってる。
だけどきっとこれで、私は明日も、今まで通りにりさちゃんと会うことができるし、いつも通りに笑い合うことができると思っていた。
りさちゃんはもう、私に執着することはないだろう。

そして、こうも思う。
りさちゃんの欲しかったのは、多分やっぱり、キスじゃない。
あんな綺麗な目をして、りさちゃんが欲しがっていたものを、私はどうしたって、あげることが出来ないのだ。

「りさちゃんはさ、本当はうちのなにがほしいの?」

隣を歩きながら、私は聞いた。
白い息が弾むのが、無性に楽しい気分になっていた。

「それを聞くんですか?」

りさちゃんは苦笑していた。

「聞いちゃ、まずかった?」
「そういうわけじゃないですよ。ただ……」

段々と歩く速度が緩まり、私はりさちゃんに合わせて道端に立ち止まった。
りさちゃんは私のことを見ると、迷いなく言った。

「全部です。全部。全部、欲しいんです」

足りないんですよ、毎日、毎日。
明るい笑みとともに、りさちゃんはそう口にした。

その言葉は、ひどく私の胸に刺さった。この子のことを、私はこれまでまっすぐに見ていただろうか。今日一日だけで、何も見ていなかったような気持ちにさせられていた。こんなんじゃ、明日から、元通りになんて戻れるわけは。
「気付けなくてごめんね」と言うと、りさちゃんは、こちらこそ、わかっているのにごめんね、とおどけて言った。








「私、こっちなので」

りさちゃんは、地下へと続くエスカレーターの方を見やった。

「改札まで送るよ」
「え? それくらい大丈夫ですよ」
「いいから」

適当にごまかして、手を繋いで引っ張り、一緒に下っていく。
私が前で、りさちゃんが後ろ。

「てか、また敬語になってるよ、りさちゃん。帰るまではルール継続でしょ?」
「それを言うなら先輩こそ、私のこと呼び捨てしてくれてませんよ」

こっちの方が落ち着く。
そう感じてるのは多分、私だけじゃない。
繋がったままの手と手と、その先の腕。
そのまま視線を動かして、りさちゃんの顔を見上げた。

りさちゃんはピンク色のマフラーをしていた。覆われた首元と、そこから覗いている唇。
ピンクに目がいくのは、もう半分、職業病みたいなものだ。そして唇に目がいくのは、今日のこの変なルールのせいだ。多分。そうであってほしい。そうじゃないと困る。馬鹿みたいに愛おしく、見つめてしまっている。
昨日までは迷うこともなかった気持ちが、もう今の私にはわからない。
寄り添いたいのは、離れたくないのは、本当にりさちゃんのためだけだろうか。
ただわかるのは、この苦しいジレンマはほんの少しの力で引き金を引けば、簡単に終わりを告げるということだけだった。

気恥ずかしくなって、前を向いた。
後ろからりさちゃんが、鎖骨のあたりに腕を回してくる。周りに聞こえないようにひそひそ声で囁いてきた。

「今、キスされるのかと思いました」
「しようかと思った」
「えっ?」
「冗談。……じゃあね、ばいばい!」

改札の前に来て、私は余韻もなにも感じる前に手を振って去ろうとする。わざわざ送ると言ったのにこの体たらくだ。

「先輩」  

私は立ち止まる。振り返ることはしなかった。顔を見たらきっと、寂しくなってしまう。余計な言葉を言ってしまう。

「今日は本当に……ありがとうございました。私のわがままに、付き合ってくださって」

りさちゃんの声を背に、私は下唇を噛んだ。
エスカレーターをガンガンと、踵で音を立てて上っていく。

危なかった。
戻る、戻ろう。
戻れるのかな。
何も変わらない日常に、戻れたら良いのかな。
それとも明日が、何か変わっていてほしいのかもしれない。






電車に乗るなり、スマホには「今日は楽しかったです」というメッセージがりさちゃんから届いていた。
とことん、まめな性格だ。あんなにつっけんどんな別れ方をしてしまったのに、不満はおくびにも出さない。

私は迷う。踏み出すべきかわからない、その一歩を迷う。
りさちゃんは来てくれた。勇気を振り絞って、近付いてくれた。
私はどうしたい。
私は。

『今日の告白の答え。やっぱり取り消させて。……』

返信を打つ手が止まりそうになる。
明日の私たちは、きっと変わっている。戻ることは出来ないと思う。
だから揺らぐ気持ちを任せてみたいと、そう思った。


『お友達から始めませんか』


やたらすぐに返信は返ってきた。

『おとももち、でしょ?もも』

にやりと笑うのが抑えられなくなる。
そう、その通りだなと思った。
私は顔よりもかなりサイズの大きなマスクを付けた。
そしてその中に閉じこもるかのように顔を隠して、今日一日の出来事を思い返し始めた。


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